研究 (現在、更新中です)

これまで興味の赴くままにいろいろな研究を行ってきましたが、動物の社会と表現型の進化多様性という二つのテーマに興味を持っているように感じます。

動物の社会

動物の社会構造や社会行動には、種間・種内に大きな変異がみられます。この社会的多様性が、

・生態学的条件や系統的制約などの要因とどのように関連しているか?
・どのような至近的、究極的な要因によって説明できるのか?
・それぞれの種の認知能力とどのように関連しているか?
という問題は、進化生物学における重要な設問です。

この設問に対し、社会性哺乳類を対象に研究しています。ここでいう「社会性」とは、群れで生活しており、その構成メンバーが、ある程度、安定している状態を指します。そのような集団において、個体はお互いを認識し、繰り返し社会交渉を行うことになります。その結果、個体間で順位関係などの社会関係ができます。また、集団内で血縁関係にある個体が存在し、ときに血縁関係がない個体が共存することもあります。自分にとって好ましい社会交渉の相手を選ぶ選択肢も生じます。

そのような群れの中では、個体の行動・戦略は、他個体との力学的関係(血縁や順位などの影響)、その他の制約を受けて、しかも包括適応度を最大化す るように決定されると、進化生物学的には予測されます(もちろん、このシステムは一方向ではなく、個体の戦略は他個体の戦略に影響を与えます)。

動物の社会行動のなかには、一見すると、とても複雑で、ときに奇妙にみえるものもあります。このように複雑な社会行動を多角的に研究することによって、 動物の「生き様」を知ることができれば、と思っています(ちなみに、哺乳類を研究対象としているのは、ただ単に好きだからです)。

詳細は、以下の項目をご覧ください。(▶︎をクリックすると詳細が出てきます)

葛藤解決行動 (conflict resolution)

動物において個体間で利害関係が一致しない対立状態は日常茶飯事です。対立状態はときとして、双方にとってコストの高い攻撃(喧嘩)に発展します。いくつ かの社会性動物において、対立状態を積極的に低減させる行動が進化しています。たとえば、喧嘩のあとに「仲直り」をしたり、目上の個体には「挨拶」をした り。そのような対立解決行動のルールや機能などについて研究しています。

情動 (emotion)

動物も喜怒哀楽のような情動をもち、行動・意思決定を制御する内的要因として重要な役割を持っています。しかし、動物の情動を客観的に測定することは、さまざまな困難があります。研究では、行動学的指標や内分泌学的指標を用いて、霊長類の情動が社会行動とどのように関係しているのかを研究しています。

コミュニケーション (communication)

社会性動物において、個体はさまざまな感覚器を用いて、個体間で情報を伝え合っています。各動物における、音声やしぐさによる「会話」にはルールがあり、 社会性を研究する上で欠かせない研究テーマです。動物のコミュニケーションを研究することによって、動物の認知(cognition)を理解したいと思っています。

繁殖の偏り(reproductive skew)

動物の社会構造には、とても幅広い多様性があります。たとえば、協同繁殖種や真社会性の種では、繁殖は少数の個体によって独占されています。このような状態を繁殖の偏り (reproductive skew)が強いといいます。その一方、群れの中のほとんどの個体が繁殖する(偏りが弱い)種もいます。
私たち(Kutsukake and Nunn 2006, 2009)は、霊長類の社会的多様性の指標として、繁殖の偏りに注目し、その原因と結果を調べました。とくに、繁殖の偏りモデルのなかで、代表的なモデルであるtug-of-war modelからの予測を検証しました。まず、雄の交尾成功が個体間でどの程度ばらつくかを文献調査し、その後、系統種間比較によって、各種の繁殖の偏りの決定要因を探りました。その結果、群内にいる雄の数、雌の発情同調性の二要因が、繁殖の偏りに負の影響を与えていることが分かりました。この研究は、ある分類群を対象に、繁殖の偏りの決定要因を明らかにした初めての研究です。
その後、「Reproductive skew in vertebrates」という書籍に寄稿する機会をいただき、霊長類における繁殖の偏りを総説しました。そのなかでは、今後の種間比較研究を推奨するとともに、雌の発情同調性と雄の数が繁殖の偏りを減少させるであろうという概念モデル(the extended priority-of-access model)を提唱しました。このモデルは、priority-of-access modelを拡張したものです。priority-of-access modelはメスの発情の同調性が繁殖の偏りを弱めることを予測していました。我々の拡張モデルでは、雄の数が負の影響を与えるという点も予測に含んでいます。このthe extended POA modelは、実証的に検証することが容易であるという利点があります。


繁殖の偏りの原因:その後の進展
Ostner et al (2008)がpaternity dataを用いて同様の分析をしました。また、Port & Kappeler (2010)がEvolutionary Anthropology誌に総説論文を出しました。Port & Kappelerは、the extended POA modelをまず検証すべきモデルとして取り上げてくれました。

Kutsukake and Nunn proposed to synthesize both models and to incor- porate the number of males in an extension of the priority-of-access model. Their suggestion provides a valuable first step toward understanding the factors shaping reproductive skew among male primates and we encourage any attempt to formally model such a synthesis.

Ostner et al (2008)を追試したGogarten & Koenig (2013)は、オスの数とメスの発情同調が聞き、前者がより強く聞いていることが示されました。これらの結果から、

This finding .... thereby supporting an extended version of the priority-of-access model (Kutsukake and Nunn 2006).

と結論づけています。



繁殖の偏りの帰結
繁殖の偏りは、動物の行動生態に様々な影響を与えます。Kutsukake and Nunn (2009)のなかでは、群内の血縁構造と、性感染症について議論しました。性感染症と繁殖の偏りの関係については、Nunn, Ostner, Schulkeさんらと共同研究しました。


ただし、、、in prep

Kutsukake, N. & Nunn, C. L. Comparative tests of reproductive skew in male primates: The roles of demographic factors and incomplete control. Behavioral Ecology and Sociobiology 60, 695-706 (2006).
Kutsukake, N. & Nunn, C. L. 2009. The causes and consequences of reproductive skew in male primates. In: Reproductive skew in vertebrates: proximate and ultimate causes. (eds) Hager R & Jones CB. Cambridge University Press, Cambridge. Pp. 165-195
Ostner, J. et al. Female reproductive synchrony predicts skewed paternity across primates. Behavioral Ecology 19, 1150-1158 (2008).
Port, M. & Kappeler, P. M. The utility of reproductive skew models in the study of male primates, a critical evaluation. Evolutionary Anthropology 19, 46-46 (2010).
Nunn CL, Scully EJ, Kutsukake N, Ostner J, Schülke O, Thrall PH. 2014. Mating competition, promiscuity and life history traits as predictors of sexually transmitted disease risk in primates. International Journal of Primatology. 35: 764-786.

協同繁殖 (cooperative breeding)

協同繁殖(cooperative breeding)とは、親以外の個体が子の世話をする繁殖システムを指します。子育てを手伝うヘルパー(helper)は、自分の繁殖機会を犠牲にして他個体の繁殖を手伝っています。このような利他行動の存在は、行動生態学における長年の謎と考えられてきました。 霊長類以外の哺乳類で、社会行動を研究していみたいと考えて、博士取得後(2003年・2005年)、南アフリカのカラハリ砂漠にて、ミーアキャットの研究をしました。英国ケンブリッジ大学のTim Clutton-Brock教授との共同研究です。食肉目の野外研究をできたことが嬉しかったし、多くの発見がありました。 ミーアキャットを観察しているうちに、協同繁殖の特殊型である真社会性(eusociality)を見てみたいと思うようになり、2006年からハダカデバネズミの研究を行いました。理研・BSI(当時)の岡ノ谷先生との共同研究です。 総研大に移って、動物を飼育できるスペースをいただくことができたので、協同繁殖する魚、シクリッドの一種であるジュリドクロミス・レガニやワイルドベタの一種ブロウノルムの研究をしました。哺乳類と比べて、行動実験などがやりやすい、飼育がしやすいなどの利点があります。

科研・若手スタートアップの申請書(一部改変)

協同繁殖とは、親以外の個体が子育てを行う繁殖形態と定義される。多くの協同繁殖種において、優位個体ペアーのみが群れ内の繁殖を独占し、その他の劣位個体(多くの場合、優位個体の子)は、自ら繁殖せず、優位個体の子育てを手伝う(ヘルピングを行う)ヘルパーとなる。ヘルピングのような利他的行動が進化した究極的な理由に関しては、多くの仮説が提唱されているが、もっとも代表的なものが血縁淘汰仮説である(Hamilton 1964ab)。この仮説によると、ヘルパーと優位個体の子は血縁関係にあるため、子育てをすることによって、ヘルパーは包括適応度の上昇という間接的利益を得ることができる。
協同繁殖の進化において、血縁淘汰がある程度の説明力を持っていることは多くの研究者によって認められているが、近年の研究により、以下の(1)から(3)の理由により、血縁淘汰の役割が過大評価されている可能性が示唆されてきた(West et al. 2002)。
(1)まず、優位個体の子を育てることによって、劣位個体が直接的な利益を得ていることが示されている。(2)また、多くの研究が、ヘルピングに短期的・長期的なコストが存在することを想定してきたが、実際にそのコストを測定した研究は少ない。さらに、劣位個体間にも、低頻度でしかヘルピングを行わない「怠け者」と、高頻度で行う「働き者」がいることが知られており、それらの変異を生み出す要因はわかっていない。
(3)つぎに、血縁個体間の競争によって生じるコストが、協力行動によって生じる利益を上回る可能性がある。とくに粘性の高い集団(うまれた場所から個体が分散する距離が小さい集団)においては、血縁個体間で競争や利害の不一致が生じやすいと予測される。たとえば、協同繁殖種において、血縁個体間であるにもかかわらず、群れの個体間で攻撃がおきることはまれでない。過去の研究から、優位個体による劣位個体への攻撃行動は、以下の二要因と関連していると報告されている。まず、繁殖をめぐる対立が優位個体による攻撃行動に反映される。協同繁殖社会において、優位個体と比較すると低頻度ではあるが、劣位個体も繁殖する。優位個体は繁殖を独占するために、それらの個体を選択的に攻撃し、繁殖の阻害を行っていると考えられている。つぎに、劣位個体によるヘルピング頻度が、優位個体による攻撃行動と関連しているという報告がある。すなわち、優位個体は、ヘルピングをしない「怠け者」な劣位個体を選択的に攻撃し、劣位個体にヘルピングを強制させているという仮説である(Reeve 1992)。
これらの問題点から、協同繁殖社会における血縁淘汰仮説の重要性を、再度検証しなおす必要が生じている。本研究では、協同繁殖をする哺乳類を対象に、血縁個体間の協力(ヘルピング)と競争(攻撃行動)を研究する。本研究の特色として、比較的、研究の進んでいる二種を対象に、行動観察のみならず、行動実験や動物心理学的手法などを併用して、旧来の仮説を実証的に検証する点である。協同繁殖研究の世界的な状況として、鳥類、魚類の研究と比較して、哺乳類における協同繁殖研究の遅れが指摘されてきた。国内の状況としては、哺乳類を対象に協同繁殖を研究しているのは申請者のみであり、先駆的、独創的な結果が期待できる。
(1)ハダカデバネズミHeterocephalus glaber:ハダカデバネズミは東アフリカに生息する地下性齧歯目の一種である。この種の最大の特徴は、繁殖個体と非繁殖個体間で明確な体サイズの違いがみられ、真社会性とよばれる特殊な社会を形成することである。この種は、地下生活に極度に適応しているため、個体の分散はまれであり、粘性の高い集団を形成する脊椎動物の代表例といえる。群れ内の繁殖を独占するメスは女王と呼ばれる。女王は、劣位個体を高頻度で攻撃することが知られているが、その機能に関しては不明な点が多い。また、劣位個体は、穴掘り行動や餌運び行動などの様々な種類のヘルピングを行う。
(2)ミーアキャットSuricata suricatta:ミーアキャットはアフリカ南部に生息する食肉目マングースの一種である。群れの中では、優位個体が繁殖を独占するが、ときに劣位個体が繁殖する。このため、優位個体と劣位個体間で強い繁殖をめぐる対立が存在することがこの種の最大の特徴である。たとえば、優位メスは繁殖可能性のある個体を攻撃し、群れから追放することによって、劣位メスの繁殖を妨げる(申請者による業績3, 6, 13)。ヘルパーは子守、授乳、穴掘りなど、さまざまなヘルピング行動を行う。1990年代後半から、野生群を対象として研究が集中的に行われており、哺乳類における協同繁殖研究におけるモデル生物となっている。

引用文献 Hamilton WD (1964a,b) The genetical evolution of social behaviour. I. and II. J Theor Biol 7, 1-16 and 17-52
Reeve HK 1992 Queen activation of lazy workers in colonies of the eusocial naked mole-rat. Nature 358, 147-149
West SA, Pen I, Griffin AS (2002) Cooperation and competition between relatives. Science 296, 72-75

集団的意思決定(collective decision making)

真社会性哺乳類ハダカデバネズミを対象に、言葉も持たない動物の集団が、どのように意思統一をするのか?という集団的意思決定を研究しました。集団的意思決定は、群れの移動でよく研究されていますが、私の研究では、 ハダカデバネズミが、トンネル状の巣のなかで、どのように巣材を運搬し、部屋割りを決めるのか? という点を分析しました。その結果、女王の匂いがついている部屋から、巣材が多く除去されることがわかりました。このことから、女王の存在が部屋割りに重要であることがわかりました。また、女王が存在すると、他の個体がよく働くこともわかりました。
(おまけ)
集団的意思決定する際、他の個体の労働を邪魔するという奇妙な行動が見られました。これは、働いている個体の尻尾を引っ張って、他の場所に連れて行ってしまうというtail-tuggingという行動です。tail-tugging行動は、すべてのカースト(女王、繁殖オス、ワーカー)の個体が行い、すべてのカーストの個体が邪魔されていました。この行動の機能は不明ですが、協力性の高い真社会性動物であっても、意思の統一が必ずしも取れていないことを示しています。

Kutsukake N, Inada M, Sakamoto SH & Okanoya K. 2012 A distinct role of the queen in coordinated workload and soil distribution in eusocial naked mole-rats. PLOS ONE 7: e44584 Kutsukake N, Inada M, Sakamoto SH & Okanoya K. in press. Behavioural interference in work among eusocial naked mole-rats. J Ethol.

以前科研費の申請書(一部改変)

要旨:本研究では、真社会性ハダカデバネズミを対象に、群れ生活の維持に重要な役割を果たす集団的意思決定(個体が協調して複数の選択肢からひとつの選択肢を選ぶ意思決定)を研究する。同種は、複数個体が協調した労働行動によって地下トンネル内に複数の部屋を形成し、それぞれの部屋をネストや巣材溜め場に使い分ける。本研究では、この決定過程における決定個体、労働コストとの関連、個体間コミュニケーションを実験的に検証する。また、シミュレーションを用い、個体の行動ルールと集団的意思決定の関係を検証する。理論と実証の併用により、カースト制という複雑な社会的特徴を持つ真社会性哺乳類における集団的意思決定の理解を進める。

群れで生活する動物において、個体が協調して複数の選択肢からひとつの選択肢を選ぶことがある。このような意思決定は集団的意思決定と呼ばれ、無脊椎・脊椎動物を問わず多岐にわたる動物において報告されている。もっとも有名な例として、ミツバチにおけるダンスコミュニケーションを介した巣の引越しが挙げられる。集団的意思決定は、群れ生活の維持する、または群れ生活によって生じる利益を増加させるという重要な生物学的機能をもつ。過去10年間、海外において、集団的意思決定に関する実証的・理論的研究が進んだ(Conradt & Roper 2005 TREE 20: 449-456)。進化生物学、行動生態学の観点から、集団的意思決定のメカニズムを理解するためには、以下の事項を解明することが不可欠である。
(1) 誰が決定するか?:群れが最終的な選択肢を決定する様式として、特定の個体(リーダー)が行う専制的決定、個体間の多数決による決定、それぞれの個体がもつ意思決定ルールから最終選択肢が創発される平等社会的決定が報告されている。しかし、決定様式は種間・種内で異なり、これらの違いがどのような生態学的、社会的要因によって説明されているかは分かっていない。また、過去の自然観察法を用いた研究にて、集団的意思決定とみなされている例のなかには、全個体が環境からの手がかりを得て、利益の高い選択肢を独立に選択した(その結果、集団的意思決定と見えてしまう)可能性を完全に排除できてない例もある。この可能性を排除するためには、環境的手がかりを統制した実験的研究が不可欠である。
(2) 個体の収支は集団的意思決定にどのように影響するのか?:集団的意思決定が形成される際、個体の役割を決定する一要因として、行動による収支があげられる。たとえば、Rands et al (2003Nature423: 432-434)によるシミュレーションでは、群れが移動する際、移動を開始することによって得られる収支が高い個体が自発的なリーダーとなり、その収支が低い個体はリーダーに従う追従個体となって移動し、その結果、集団的意思決定に至る可能性が示されている。しかし、実証的な研究で行動の収支を定量的に測定した例は存在せず、たとえば、各個体の行動コストが集団的意思決定にどのような影響を与えるかは分かっていない。このため、集団的意思決定における各個体の役割を行動生態学的な見地から実証的に検証することが難しかった。
(3) 個体間でコミュニケーションはどのように行われるのか?:複数個体間で統一した意思決定に至るためには、決定個体と追従個体間で、状況特異的な信号により情報伝達がなされる必要がある。ミツバチのダンスはそのもっとも有名な例であるが、ミツバチ以外の多くの種においては、コミュニケーションがどのように行われているかが分かっていない。
研究は、限定された研究対象・行動状況のみが扱われてきた。研究対象に関しては、魚や真社会性昆虫のワーカーなど、個体の属性が均一である単純な意思決定系を対象とした実験的研究が多かった。その一方で、個体間順位やカースト制の存在によって個体の属性が異なるような社に複雑な種を対象とした研究は少なかった。さらに、社会的に複雑な種を対象とした研究では、おもに自然観察法が用いられ、実験的検証が行われることは少なかった。行動の状況に関しては、群れの移動方向の決定に関する集団的意思決定が盛んに研究されてきたが、その他の状況を対象とした研究はない。これらのバイアスのため、現在までの集団的意思決定に関する考察は、きわめて限定した知見に基づくものであるといえる。
これらの問題点から、個体間の属性が異なるような社会性動物において、集団的意思決定に関する実験系を確立し、集団的意思決定のメカニズムを総合的に検証することが必要であった。本研究対象のハダカデバネズミHeterocephalus glaberは、地下にトンネル状の巣を作り、血縁個体からなる群れで生活する真社会性齧歯目の一種である。ひとつの群れには、1頭の繁殖メス(女王)と1~2頭の繁殖オスが存在し、繁殖個体の子は自ら繁殖しないワーカーとなる。ワーカー間には、その体の大きさに応じた役割分業が存在し、大きなワーカーは巣の防衛、小さなワーカーは子の世話などの労働行動を専門に行う。同種は、地下トンネル内に複数の部屋を形成し、野生・飼育環境において、それぞれの部屋を個体が休息するネストや、不要な巣材を溜める部屋に使い分ける。これらの部屋割りは、労働行動の一種である運搬行動を複数個体が協調して行うことによって形成される(図1)。申請者は、同種における協力行動の研究プロジェクトの一環として、部屋割りの全過程を観察できる実験施設を開発し、部屋割りの決定過程が集団的意思決定とみなせることを発見した(沓掛, 稲田, 岡ノ谷2007 第26回日本動物行動学会にて発表)。この研究において、全個体の労働行動、個体コスト、巣材の分布を定量的に測定すること可能であり、かつ再現性の高い結果が得られるため、集団的思決定を調べるうえでの理想的な実験系であるといえる(方法についての詳細は次項を参照)。
本申請研究では、上記の実験を発展させ、ハダカデバネズミにおける集団的意思決定のメカニズム、とくに決定個体、労働コストとの関連、個体間コミュニケーションを調べることを目的とする(仮説等については次項を参照)。本研究から期待される成果として、以下の3点がある。(1)集団的意思決定の研究例が少ない社会性哺乳類を対象に、群れの移動とは異なる行動状況を実験的に調べることによって、過去の集団的意思決定における結論の検証、知見の拡張ができる。真社会性は、脊椎動物においてハダカデバネズミとその近縁種のみで進化しているが、真社会性昆虫と比較して、個体間の形態分化が顕著でなく、すべてのカーストの個体がほぼ等しい運動能力と行動パターンを持つ。このため、真社会性昆虫を対象とした過去の研究と比較して独自の成果が期待できる。(2)労働行動のコストを定量的に測定することによって、個体コストが集団的意思決定に与える影響を世界で初めて検証できる(測定法については次項を参照)。(3)実証的アプローチと理巣材の集中度合い、行動のコスト(実験前後の個体の体重減少分)、活動中の音声を記録する。また、実験個体の構成や行動コストを変化させた条件で実験を繰り返し、集団的意思決定のメカニズムの検証、とくに、個体が集団的意思決定において果たす役割は労働行動のコストに応じてに変化するという仮説を検証する。理論的研究では、実証的実験と類似した条件のマルチエージェントモデルを構築し、実験結果の解釈、実証的に検証可能な仮説の発見を行う。
実証的研究 理化学研究所脳科学総合研究センターにおいて飼育されているハダカデバネズミ(8群合計約150頭)を対象に実験を行う。実験手法は、申請者による過去の研究に従う(図2)。4つの部屋からなる実験施設を作り、各部屋を色が異なる同量の固形巣材で満たす。群れで飼育しているハダカデバネズミから実験対象個体4頭を選び、群れから隔離し、各個体の体重測定を行う。実験個体を実験施設に移し、90分間ビデオ撮影を行い、行動を全行動記録(all occurrence)法によって記録する。この実験施設において、個体は自発的な巣材運び行動を行い、巣材を1~2部屋に集中させる集団的意思決定を行う。実験中、固定マイクによって音声録音を行う。その後、個体を実験施設から出し、全個体の体重を測ったあと、群れに戻し、一回の実験が終了となる。ビデオ分析により、個体ごとに労働行動頻度を算出する。各部屋における巣材の分布を色ごとに数えることによって、巣材の移動、それぞれの部屋における巣材の分布を定量化する。実験前後の体重減少を実験における行動のコストとして用いる。 この実験は、周囲の環境が統制された実験状況で行われるために、環境的手がかりによって部屋割りが決定されることはない。そのため、巣材が集められる部屋は、実験のたびに異なる。過去の集団意思決定研究において、研究対象動物の行動観察のみならず、非生物学的環境要因との相互作用まで観察をした例はなかったが、巣材の分布・移動を定量化できる点が本実験系のオリジナルな点であるといえる。なお、ハダカデバネズミは目が見えないため、巣材の色の影響はない。図2の実験を基本形として、集団的意思決定に影響を及ぼすと考えられる要因(個体構成、個体コスト)を操作した状況で実験を繰り返し、以下の仮説を検証する。また、実験個体数を変化させ、結果の頑強性を検証する。
個体構成:4頭の個体構成(繁殖個体がいる・いない、大小ワーカーの組み合わせ)を操作した条件での実験結果を比較することにより、どのような状況で、だれが集団的意思決定に主導的な役割を果たすか、カースト制が集団的意思決定にどのような影響を与えるかを調べる。
予測・仮説:(1)カースト制による役割分業より、女王や繁殖オスは労働頻度が低く、ワーカーがおもに労働行動、意思決定を行う。(2)大きなワーカーは小さなワーカーよりも効率的に労働行動ができるために、大きなワーカーの意思決定が優先される。このため、ワーカー間の体重差が大きいときには、大きなワーカーがリーダーとなり部屋割りが起きるが、体重差が小さいときには、多数決的決定により部屋割りが決定される。
個体のコスト:労働行動のコストが高い個体は集団的意思決定に果たす役割が小さいという仮説を検証する。個体の労働コストを上昇させるために、(a)実験前に全実験個体を絶食状態にした状態、また、(b)一部の個体だけを絶食状態にし、その他のコントロール個体は絶食状態にしない状態で実験を行い、集団的意思決定に与える影響を調べる。
予測・仮説:(3)労働行動頻度が高い個体ほど、行動コスト(実験前後の体重減少)が大きい。(4)全個体絶食条件では、全個体の労働頻度が減少し、巣材の集中度合いが低下する、もしくは集団的意思決定に至らない。(5)一部個体の絶食条件においては、絶食中の実験個体は労働頻度が低く、集団的意思決定における役割は小さくなる。それに対し、コントロール個体は労働を高頻度で行うリーダーとなり、部屋割りを決定する。 コミュニケーション:音声データから、集団的意思決定に関係すると考えられる音声を探索的、網羅的に調べる。同種では、ミツバチにおけるダンスのように、餌のありかを他個体に知らせるために特有の音声を用いることが知られており(Judd & Sherman 1996 Anim Behav52: 957–969)、音声によって集団的意思決定に関するコミュニケーションが行われている可能性は高い。候補となる音声が見つかった場合、再生実験を行い、音声の機能を検証する。

社会内分泌学 (socioendocrinology)

内分泌学的データは、社会行動の至近要因を調べる上で、多くの有益な情報をもたらしてくれます。飼育チンパンジーにおいて、社会行動と内分泌の関係、順位関係によって生じるコス ト、個体の性格差などについて研究しました。とくに、共同研究者によって開発された唾液中に含まれているステロイドホルモン(テストステロン、コルチゾール)の測定技術(Kutsukake et al. 2009)を用いて、どのような個体がどのような状況で高いホルモンレベルを示すか、以下の研究を行いました。
聞きなれない同種個体の音声をプレイバック(再生)実験し、個体のコルチゾール反応の個体差を調べました。その結果、個体の反応には一貫性があり、「性格」を明らかにすることができました。また、動物福祉を向上させる目的で行われた単独飼育個体からの群れ作りの過程でのホルモンレベルを分析し、単独飼育時と比べて集団生活中にはコルチゾールの値と変動パターンが平常に近づくことがわかりました。また、怪我や病気で一時隔離した個体を群れに再導入した時のホルモン変動、オスにメスを対面させた時のホルモン変動などを分析しました。

生活史 (life histroy)

in prep

科研費・若手A(H25 - H28)

研究目的
哺乳類の社会において、個体は異なる社会的段階(順位)、繁殖、生活史(年齢、群れからの移出入)のステージを経る。その一連の過程は社会的変遷social trajectoryと呼ばれ、さまざまな生態学的現象に影響する主要因となっている。本研究は、個体の社会的変遷の過程を軸に、適応的な行動戦略、群れレベルの変数(群れサイズ、群れ構成、血縁構造)への影響、個体適応度の決定要因、個体群動態を統合的に理解する。哺乳類の野外調査、長期人口学的データのパラメーター推定と計算機統計学的分析によって、哺乳類における社会的変遷とその影響に関する新しい概念・知見を提供する。
【本研究の背景】
動物個体は生涯のなかで、年齢・順位の変化、群れからの移出入、繁殖など、いくつもの異なる社会的・生活史ステージを経る。その一連の過程は、個体の社会的変遷と呼ばれる(Emlen and Wrege 1994; Cahan et al. 2002)。寿命が長い哺乳類では、そ の段階数、各段階における戦略の選択肢が多様であり、行動戦略、適応度(繁殖成功度)、個体群動態といった進化行 動生態学における主要なテーマに大きな影響を及ぼす概念で ある。しかし、以下に述べるように、従来の各研究分野 では、社会的変遷が十分に考慮されてきたとは言えなかった。
(1)行動戦略:社会的変遷の各段階における個体の最適 戦略を予測することが難しい 過去の研究では、哺乳類のように複雑な社会的変遷を経る 種における個体の適応戦略を予測・理解することは難しかっ た。個体にとっての最適戦略は、個体の社会的変遷 (順位、年齢)のみならず、個体外の社会環境によって複合 的に決定される。たとえば、進化ゲーム理論が予測する頻度 依存性、社会的順位に起因する社会的制約の存在によって、 それぞれの個体にとっての最適戦略は異なる。 また、個体の社会的変遷段階と社会環境は刻一刻と変化す るために、個体の最適戦略は動的に変化し、その予測を困難 にする。群れレベルの社会環境(例:群れサイズ、群れの個 体構成、血縁構造)は、個体レベルの行動戦略の集積によっ て決定され、さらにフィードバックして個体の行動戦略や適 応度に影響を与える。その一例として、個体がある戦 略を取る事ができるかどうかは、社会的パートナーの利用可 能性に依存する点があげられる。血縁淘汰の場合、社会交渉 の相手として血縁個体が存在する確率は個体の社会的変遷段 階によって変化する(血縁個体が群れ内に存在する確率は、 出生群からの分散する性において低く、繁殖する社会的変遷 段階に長くいる個体ほど大きくなる)と予測される。しか し、従来の研究では行動戦略を考える際、社会構造や社会的 変遷が考慮されることは稀であり、現在までに、複雑な社会 的変遷を持つ哺乳類において、個体と群れを結ぶ双方向 フィードバックを理解する理論は存在しない[業績10]。この ことは、個体構成が比較的均一で、自己組織化などの研究手法が確立している他の動物群(例:魚群や真社会性昆虫のコロニー)と比較して、未開拓なテーマといえる。
(2) 適応度:社会的変遷の各段階における行動戦略や、短期的な適応度成分が、長期的な適応度に与える影響を調べることが難しい 多くの研究では、社会的変遷の各段階における行動戦略と、短期的な適応度の指標(適応度成分、一時的な繁殖成功度)の関連が、横断的データによって調べられてきた。しかし、寿命が長く、複数の社会的変遷の段階を経る哺乳類では、短期的な適応度の指標が長期的な適応度(e.g., 生涯繁殖成功度)を反映していない可能性がある。理想的には、各社会的変遷における短期的な適応度の指標に加えて、長期的な適応度の定量化、および適応度の決定要因を縦断的データによって検証する必要がある。しかし、従来の哺乳類の野外研究では、個体の生涯繁殖成功度が記録されていることが稀であり、上記の設問を検証した実証例はいまだに少ない。
(3) 個体群動態:個体群動態の理解に社会的要因が十分に取り入れられていない 従来の個体群動態に関する研究は、齢構造や繁殖段階など、個体間の簡単な違い(構造)を考慮するに留まり、哺乳類にみられるように個体ごとに異なる社会的変遷段階、複雑な社会構造を考慮した分析は行われてこなかった。また、生命表やmatrix population model(Caswell 2000)などにおける人口学的パラメーターには、生態学的環境や社会環境の変動を無視した長期データ平均値が用いられてきた。この単純化のために、推定されたパラメーターは個体群動態を正しく反映していない可能性がある。生態学的に真に必要とされる研究は、個体を「個性のない粒子」と見なすのではなく、その履歴や社会的変遷、血縁構造など、個体を特徴づける重要な変数を考慮したうえで、個体群動態を理解する試みである。
【本研究が解明する点、申請者の現在までの研究との関連、独創的な点】 以上のように、哺乳類を対象にした進化・行動生態学の各テーマに関して、個体の社会的変遷は無視することができない重要な位置を占める。しかし、上記のように、従来の社会行動研究には、個体の社会的履歴を考慮する視点が必ずしも浸透していない。そこで本研究では、哺乳類社会を対象に、個体の社会・繁殖行動戦略、適応度の決定要因、「個体」と「群れ」の社会的変数との関連、個体群動態を、統合的に理解することを目的とする。申請者はこれまでの15年間、一貫して哺乳類の社会に関する実証研究を行い、社会的変遷の重要性を定性的に提唱してきた。この研究経験から、個体に複数の社会的変遷の段階が存在する点が哺乳類社会を複雑化させる重要な特徴であると考えるに至り、今回、その定量的分析に着手する。

フィールドワーク学

イギリスの人類学者に声を掛けていただき、文化人類学者・社会人類学者・自然人類学者・霊長類研究者とのワークショップに参加し、フィールドワークという手法自体についての研究をふたつまとめました。ひとつは、フィールドワークの「作法」について、もうひとつはフィールドワークにおける倫理についてです。
(1)フィールドワークの「作法」 (Kutsukake 2011)
フィールドワークをしていると、研究対象をどのように理解するか(したいか)という姿勢に、文化的、個人的な背景が強く投影されることに気がつきます。日本人によるアプローチは、いわゆる西洋のアプローチとちょっと違うのではないか? と、研究を進めるうちに、また留学や海外の研究者と交流するうちに思うようになりました。そのような意見をまとめたものです。
(2)フィールドワークにおける倫理 (Kutsukake 2013)
動物のフィールドワークをしていると、さまざなま倫理的問題に直面します。保全、コミュニティーとの関係、行政機関との交渉などなど。飼育動物を対象にした倫理規定と比べると、野外調査における倫理は、議論されることが少ないテーマです。フィールドワークで直面する倫理問題の構造、ニホンザルの保全をめぐる事例をまとめ、どういう問題点があるのかを整理しました。
今後、この方向の研究を継続するかどうかは未定ですが、いくつかの宿題はあると思っています。(1)については、他のアジア諸国はどうなのか? (2)霊長類以外のフィールドワークではどうなのか? などです。また、日本の動物行動学の歴史についても興味を持っています。
Kutsukake N 2013 Complex and heterogeneous ethical structure in field primatology. In: Ethics in the field: contemporary challenges (ed) MacClancy J. & Fuentes A. Oxford & New York, Berghahn. p. 84-97
Kutsukake, N. 2011. Lost in translation: field primatology, culture, and interdisciplinary approaches. In: Centralizing fieldwork: critical perspectives from primatology, biological anthropology and social anthropology. (ed) MacClancy J. & Fuentes A. Oxford & New York, Berghahn. p. 104-120.

表現型の進化・多様性

社会行動の研究や動物の野外調査を12年間やってきて、ひとつ感じたことが「社会行動のように可塑的な形質を進化生物学の枠組みのなかで研究するにはどうしたらいいのだろうか?」ということでした。個体の行動戦略が適応度とはどうつながっているか一向に見えてこないし、寿命の長い哺乳類では適応度自体を測ることも難しいし、などと考え初めて、、、(中略)、、、長い思考過程を経て、表現型多様性 (phenotypic diversity)という第二の研究方向性が浮かび上がってきました。
ここでいう表現型とは、形態、生態、行動、認知、生理など、さまざまな形質を大雑把にまとめて使っています。現在、我々が観察、測定することができる表現型には、個体内・種内で可塑性が高いものもあれば、一貫しているものもあります。種間で大きく異なるものもあれば、似通っているものもあります。これらの違いはどのように生まれたのでしょうか? ひとつの可能性は中立進化によって生じたというものでしょうし、別の可能性としては、なんらかの淘汰圧によって生じて維持されているのかもしれません。もしくは、何らかの制約によって、もっと適応的な状態があるのに、そのような状態へと進化できないのかもしれません。これらの可能性を峻別することは、進化生物学においてとても重要なことですが、表現型レベルの研究ではあまり検証されていません。
遺伝子研究が全盛の時代に、あえて表現型レベルの研究を中心に据えることには、どのような意義があるのでしょう? それは僕が遺伝子のことをよく知らないから、というのもありますが、表現型レベルの研究はどんな時代になろうとも、進化生物学のなかで重要な位置を占めていることは間違いありません。遺伝子の知見が蓄積されてきたからこそ、その知見をもって表現型を見直すと、よりいろいろなことが分かるはずです。また、生態学的な研究の進展により、現在では、多くの種、環境での表現型レベルの情報が利用可能な状態になっています。進化生態学における情報統合が、今後、よりその重要性を増してくると感じます。
そもそも、研究を始めたきっかけが、珍獣奇獣が好きだ、(人間から見ると)奇妙な姿・形・行動をする動物が面白い、いろいろな動物を見たい、というものだったし、テーマが細分化された現在の研究、一種だけの実証研究には常日頃から物足りなさを感じていました。表現型レベルで一般性の高い理論・手法を考えることによって、自分の目では研究することができない動物や現象について、今まで以上にリアルに理解することができるようになってきました。(▶︎をクリックすると詳細が出てきます)
系統樹上での表現型進化

近似ベイズ計算(approximate Bayesian computation: ABC)を用いた系統種間比較法(phylogenetic comparative methods: PCM)によって、中立的に進化したと考えられる形質のなかから、淘汰圧を検出できる手法を開発しました(Kutsukake and Innan 2013, 2014)。現在、この手法を用いて、表現型進化のプロセスについて分析を勧めています。実証例として、化石種を含むデータにおいて方向性淘汰圧の比較があります(Harano and Kutsukake 2018)。

さきがけの最終報告書

JSTさきがけ研究「表現型の進化モデルと系統種間比較から適応進化を明らかにする計算行動生態学」 の最終報告書です(その後の出版状況に応じて、一部、加筆・修正しました)。
研究のねらい

“Evolution is messy” (Losos 2011 Am Nat)
現在、地球上には多様な生物が存在している。この生物多様性は、生命が誕生して以来、長い進化の過程を経て育まれてきたものである。進化のプロセスには種の誕生や絶滅、変動する環境への適応、中立的な進化が含まれる。これら諸現象の生起確率・速度は一定ではなく、不均一な性質を持つと考えられる。
動物の行動や表現型形質の適応的意義を考察する際、生物進化の歴史である系統関係を考慮することが必要不可欠である。その理由として、進化の歴史を最近まで共有してきた近縁な二種は、形質が類似することが多く、統計的に独立であるとみなせないためである。Felsenstein (1985, Am Nat)に始まる系統種間比較 (phylogenetic comparative methods) と呼ばれるアプローチでは、現世種にみられる形質の種間比較から、進化のプロセス(進化速度、進化モード、祖先形質)を推定することが可能である(沓掛 2012 行動生態学)。現在までに、系統種間比較を用いた研究は数多く行われ、適応進化に関する多くの知見をもたらしてきた。しかし、従来の系統種間比較には、単純な進化モデルしか検証することしかできないという欠点が存在した。多くの系統種間比較法において、表現型の進化モデルとして用いられるものがブラウン運動Brownian motionである。この進化モードは中立進化に相当し、適応進化の検出を主目的とする研究において有用なモデルと見なせるかどうかについては議論があった。ブラウン運動に基づくモデルを拡張し、異なる進化速度を持つ複数のブラウン運動による進化、進化速度の加速・減速を伴うブラウン運動などを想定した手法も開発されてきたが、これらも先述の議論に答えを与えるものではない。そのため、系統樹上で複数の進化モードが混在する進化モデルのもと、各パラメーターの推定、さらには複数の進化モデルの統計的に比較する手法は限定されてきた。さらに、多くの手法では形質の種内変異が考慮されていなかった。 この現状は、遺伝子型を対象にした系統関連の分析手法が大きく発展している状態とは対照的である。とくに、遺伝子型の研究で頻用されている計算機的手法やベイズ統計学は、表現型を対象にした系統種間比較では十分に導入されていない。 これらの問題点をふまえ、本研究では新しい系統種間比較の理論・分析手法を開発した(図1)。開発した分析手法を進化・行動生態学の実証的研究に適用し、従来の研究では実現できなかった適応進化プロセスの推定を行った。

研究成果
(1)概要
系統樹上で表現型をシミュレーションによって節の形質値を進化させ、実証データとの比較によって尤度を算出する新しい系統種間比較のアルゴリズムを開発した。進化シミュレーションでは、研究者が検証したい進化モード、進化速度、生態学的イベントを設定する事ができるため、既存のブラウン運動に基づく進化モデル、または安定化淘汰に基づく進化モデルのみならず、枝やクレード特異的に働く方向性淘汰や、枝の途中段階における進化プロセスの変化なども考慮する事ができる。パラメーター推定には、近似ベイズ計算(approximate Bayesian computation, ABC)を用いることによって、計算時間が短縮されるのみならず、系統樹や枝長の不確実性を考慮する事ができ、また、事後分布によりモデル選択を行うことも可能であるという利点がある。開発された手法は、既存の系統種間比較を広くカバーするのみならず、研究者が検証したいと考える進化モデルを扱う事ができるという点で、柔軟性が高い、最も包括的な手法であるといえる。このアルゴリズムを用いて、実証場面において未解明の現象について研究を行っている。現在までに分析が完了している例として、テナガザルにおける体サイズの大型化、デバネズミ科における社会進化が挙げられる。それぞれの例は、枝長に不確実性がある系統における枝特異的にかかる方向性淘汰の検出、種内変異と下限があるデータの分布という、従来の系統種間比較法では分析する事が困難であった事例を扱っており、本アルゴリズムの有用性を示している。

(2)詳細
表現型の進化シミュレーションに基づく尤度の計算とパラメーター推定のアルゴリズム 表現型の進化シミュレーションによる、従来の手法とは異なる新しい系統種間比較のアルゴリズムを作成した。この手法では、集団遺伝学の概念を取り入れ、既知の系統樹の上で、研究者が仮説として持つ進化モデルに基づいて表現型を進化させる。その結果、末端節(tip)や内部節(internal node)の形質値が生み出される。この値と、対応する実際の形質値を比較し、あるパラメーターセットのもとで、実際の形質値が得られる確率(尤度)を求めることが可能である。種内変異の情報は、末端節のデータを平均値とするデータ分布(例:量的形質の場合は正規分布など)中での、実証データの値が得られる確率を算出する事によって、重み付けを行う。パラメーター推定は、最尤法と近似ベイズ計算(approximate Bayesian computation, ABC)によって行うことが可能である。 この手法の特徴は以下の通りである。まず、多数のパラメーターセット、様々な進化モデル(進化モード、進化速度)と、その不均一な生起、その他の仮定を柔軟に設定する事ができる。進化モードとしては、中立進化に相当するブラウン運動、安定化淘汰に相当するオルンステイン・ウーレンベックOrnstein-Uhlenbeck過程、その他、方向性淘汰や分断淘汰など、研究者が検証したい進化モードを柔軟に設定する事ができる。また、尤度とパラメーター数から、尤度比検定や情報量基準によって進化モデルを比較することが可能である。この手法は、既存の系統種間比較を広くカバーする、柔軟性の高い包括的な手法であるといえる。当アルゴリズムは、今後、統計ソフトRでのライブラリーとしての公開を予定している。 図2:本アルゴリズムの概略図 実証研究への応用 当アルゴリズムを用いて、従来の研究ではできなかった、系統樹内での不均一な進化の検出を行っている。以下はそのうち、分析を完了している二例である。
・ 近縁種間にみられる表現型の変異のなかには、特定の種の形質が、他種と大きく異なる(ようにみえる)事例が存在する。このような現象はevolutionary singularityと呼ばれ、中立進化のみでは説明できず、系統樹の一部において何らかの淘汰圧がかかっている可能性を示唆している。しかし、従来の系統種間比較では、この可能性を定量的に検証する事が難しかった。加えて、従来の手法では、系統樹に存在する不確実性をパラメーター推定において考慮することができなかった。本研究では、evolutionary singularityの存在を検証できることを示す一例として、テナガザル科におけるシアマンSymphalangus syndactylusの体の大型化を分析した。テナガザル科は17種で構成され、そのうちの一種であるシアマンは体サイズが他種と比較してやや大きく、特別な種であると言われてきた。しかし、その定量的な検証は行われず、シアマンが他種と行動的に異なるという結果は得られていない。遺伝子情報に基づくテナガザル科の系統関係は、推定結果には不確実性が高いものの、近年、報告され始めている。このような背景のもと、シアマンの大型化を検証するのに適した時期に来ている。本研究では、枝長に不確実性が存在する系統樹を用いて、シアマンに至る枝で体サイズが大きくなる方向性淘汰に関するパラメーター(k)を導入し、その他の枝では中立進化を想定したブラウン運動による進化モデルを構築した。パラメーター k = 1のときには、系統中の他と同様のブラウン運動と同様に形質の増加と現象が等確率で起きる。k > 1のときには、形質の増加を伴う突然変異が中立進化と比較してk倍多く起き、形質の増加が起きる。ABCを用いたパラメーター推定の結果、kの事後分布は1より大きく、また祖先型はシアマンよりも他種と近いものであった(図3)。このことから、テナガザル科においてシアマンにおいて体サイズの増加が特異的に起きたという仮説が初めて支持された。
・ 約20種からなるデバネズミ科は社会進化を研究するうえで興味深い分類群である。この科には、単独性、社会性、真社会性と異なる社会形態が混在し、しかも真社会性が系統樹内に二回独立に進化している(図3)。群れ(コロニー)サイズは、社会システムに対応した大きな種間変異がみられるが、同時に種内変異も大きい(例:ハダカデバネズミHeterocephalus glaberは最小2から約275のコロニーを作る)。 デバネズミ科の社会進化に関しては、祖先形質が単独性であるか、社会性であるかによってその解釈が大きく異なる。最祖先種が単独性である場合、ハダカデバネズミにみられる真社会性が急速に進化したということになり、最祖先種が社会性である場合、単独性が派生形質として進化したということとなる。現在までに、不均一な進化を想定した上での祖先形質や他のパラメーターの推定は行われてこなかった。 本研究では、開発したアルゴリズムを用いて、平均群れサイズが1以下とならない仮定のもと、種内変異の情報を取り入れた進化シミュレーションを行った。社会性の種に対してはブラウン運動による中立淘汰、二種の真社会性の種に対してはコロニーサイズが上昇する方向性淘汰を設定した。なお、真社会性を示す二種での方向性淘汰では、ハダカデバネズミとダマラランドデバネズミの二種に異なる淘汰圧を想定した。その結果、ハダカデバネズミに至る枝では群れサイズの上昇という方向性淘汰が検出されたが、ダマラランドデバネズミCyptomys damarensisに至る枝では、他の枝と同様の中立的な進化で説明する事が可能であった。このように、ともに真社会性に分類されている二種であっても、群れサイズにかかる進化プロセスが質的に異なることが判明し、この分類群における複雑な社会進化の過程を推測する事ができた。
この研究は、Haba & Kutsukake (2019, Evol Ecol)に掲載されました。こちらもご覧ください。
以上のように、個別の事例やデータ特性に対応して、柔軟な表現型シミュレーションを行うことが本アルゴリズムでは可能である。さらに、パラメーターの事後分布を用いたモデル選択によって、進化モデルを比較することも可能である。これらの点から、従来の系統種間比較ではできなかった、適応進化に関する新しい理解を行う事が可能な土壌を作ることができたといえる。

今後の展開
表現型や形質を対象にした系統種間比較は、遺伝子型を対象にした研究と比較して、手法、概念ともに大きく遅れている。とくに、計算機の飛躍的な発展に相まって開発された分析手法と比較して、表現型を対象にした研究では発展余地がある。博物学の時代以来、収集されてきた形質データのデータベース化は近年加速し、さまざまな分類群を対象にした高精度の系統関係が報告されている。これらの大量データが扱うことが可能となる時代において、生物学における比較研究、計算機を用いたデータ分析は、その必要性をますます強めるであろう。本研究によって生み出されたアルゴリズムは、進化生物学的に妥当性の高い進化モデルの検証を可能にするものであり、今後の系統種間比較研究において中心的な役割を果たす事が期待される。また、当初は想定していなかったが、生物進化における適応・制約・中立が果たす役割、標準化された進化速度の提案など、本研究は進化生物学的における大きなテーマに対して寄与できる事が分かった。今後はこれらの研究を進めていく予定である。

自己評価
本研究プロジェクトを提案した最初の動機が、実証研究において系統種間比較を用いた際の違和感であった。それは、系統樹内で不均一な進化モードや進化速度、種内変異や分岐年代の不確かさ、化石種と現世種の同時分析など、進化生物学的に本当に重要な仮説や問題点を分析に織り込めないという手法の限界に対するもどかしさであった。本研究の中心部分のアルゴリズムは、これらの問題点をすべて解消するものであり、当初想定していた主要な目標は達成したといえる。今後、多くの実証研究例と、発展した手法を多く報告する事によって、手法を普及させていく必要がある

ついでに、古生物学会のアブストに初学者が理解しづらい点を書きました。
系統種間比較:共分散行列の重要性

本講演では、近年、発展が著しい、連続形質の分析法を概説する。その起点は、Felsenstein (1985)による独立対比(independent contrasts)法の提唱である。その後、柔軟な統計モデリングを可能にする系統的一般化最小二乗法(PGLS: phylogenetic generalized least squares)が提唱された。その結果、現在の系統比較法は、研究者が検証したいと願う進化モデルを扱うことができる、柔軟な統計手法へと成長している。
連続形質の系統比較法を理解する上で要となる点、同時に初学者にとって分かりにくい点が、種間の類似度を分散共分散行列(variance-covariance matrix)で表す過程である。この過程を理解するために、以下では、均一速度のブラウン運動(BM: Brownian motion)を形質進化に当てはめる、もっとも単純な例を用いて解説する。
N種からなる系統樹において、共通祖先種から末端節までの時間をTとする。また、種 i と種 j が分岐した時点を Tij とする。そうすると、種 i と種 j は、共通祖先種から種分化までの時間 (T - Tij ) の時間を共有して形質進化してきたことになる。均一ブラウン運動を想定した場合、同種の類似度を T とすると、 相対的に、種 i と種 j の間の類似度(共分散)は (T - Tij )となる。二種間の類似度を、N種中に含まれる種間の組み合わせ全てで計算する。その値を(i, j)成分に入れたN x Nの行列が分散共分散行列 (C) であり、種間の類似度に関する情報を集約した行列となる。行列 C は、進化モデルの尤度関数、共通祖先の形質値や進化速度(BMの速度パラメーター)を最尤推定する式に含まれる。換言すると、Cを記述することができれば、未知のパラメーターを推定し、進化モデルを検証することができるのである。この原則は、以下に紹介する発展モデルにおいても有効であるため、量的形質の系統比較を理解するうえで要となることを再度、強調したい。
ここまでは、系統内の形質進化を速度均一のBMで表す進化モデルを解説してきた。BMは、(1)中立進化、もしくは、(2)ある範囲内を変動する最適値に向かう適応進化、という二つの進化プロセスを表す、適用範囲の広い進化モード(mode)である。しかし、実際の進化プロセスを考えると、形質進化がつねにBMで近似できるとは限らず、また、系統全体で均一なBMを想定することは現実的ではないだろう。この問題点に対して、均一BMという仮定を緩めた発展モデルが提唱されてきた。それらは、以下の二つに大別できる。
[1] ブラウン運動の発展版
まず、BMの速度パラメーターが、あるルールに従って変化する進化モデルが提唱されている。たとえば、古生物学者であるシンプソンが提唱した適応放散モデルでは、共通祖先種からの種分化と形質多様化が短期間で起き、その後、時間が経つにつれて多様化は減速する。この適応放散モデルは、共通祖先種から離れるに従って進化速度を減衰させるパラメーターを設定する、early burstモデルによって検証することが可能である。
もしくは、クレードごと、または枝ごとに異なる進化速度を持つという設定を検証したい場合もあるだろう。そのような場合、各クレードや、一部の枝に異なるBM進化を設定する進化モデルを構築すれば表現できる。もっとも複雑なvariable rate modelでは、すべての枝に異なる進化速度を想定する。
[2] 安定化淘汰
BMに基づく手法の問題点として、形質値の上限下限を想定していない点が挙げられる。例えば、体サイズの分布には生物学的な制約が存在し、特定の値以上には大きくならないし、負の値を取ることもない。もしくは、形質が最適値以外を取ることがなく、固定されているということもあるだろう。これらの例のように、形質値が限られた範囲内にとどまるという設定(安定化淘汰の存在)は、Ornstein-Uhlenbeck過程を適用した進化モデルで表すことができる。

このように、現在の系統比較法では、研究者のニーズに対応した様々な進化モデルが提唱されている。ほぼ全て、フリーのRに装備されており、本稿で述べた統計学的な背景を理解していなくても(理解していたほうが望ましいが)利用することができる。系統比較法は、海外では大進化の分析手法として定着している。その一方、残念なことに、日本語での平易な解説もなく、研究者が学習できる機会も少ない。今後、多くの研究者によって活用されることが望まれる。

行動形質の網羅的記録、定量化

行動形質は、多次元の現象であり、完全にデータ化することができたらば莫大なデータ量が得られます。しかし、行動形質をデータに落とすときに、多くの情報が失われ、また、人の目を使ってコーディングするために誤差も生じ、効率も悪く時間がかかります。これらの作業を否定しているわけではありませんが、もっとスムーズに、バイアスなく進められないものかと考えています。